寒さ深まる11月、花月嵐の創業25周年を飾るに相応しい、渾身の一杯が登場します。その名も『戦国武将らあめん家康公』です。実はこのラーメンには、愛知県の名物食材として名高い『八丁味噌』が贅沢に用いられているのです。『八丁味噌』とは、日本国内2社でしか作られておらず、米麹を使用せずに、大豆のみを使用して熟成させた濃厚な味わいが特徴の豆味噌の銘柄のことです。
その名の由来は、岡崎城(愛知県岡崎市)から西に八丁(約870メートル)離れた八丁村で作られていたことにもとづき、その名が命名されたとのことです。大きな木の桶で2年以上、積み上げた石を重しにして熟成させる伝統の天然醸造を今日も守り続けてる八丁味噌の製造元『カクキュー』。その工場を訪れ八丁味噌の深く濃厚な味わいに感銘を受けた花月嵐ラーメンマエストロ達が『是非、この八丁味噌を使ったラーメンを作りたい』という熱い思いが結実した、濃厚な味噌ラーメンが完成したのです。
江戸時代からの長い歴史を持つ『八丁味噌』。取り寄せていた各界の著名人も数多く、製造元の『カクキュー』には、それらの貴重な記録が残されているそうです。そして、そこには、興味深い言い伝えが残されています。それは、江戸幕府を築いた、かの徳川家康公が、生誕の地である岡崎の豆味噌を好んでいたということです。当時はまだ、八丁味噌の名は存在せず、記録としても残されていないので、断定はできませんが、その豆味噌が八丁味噌の原型であったというのは“濃厚”な説のようです。戦場へも持っていき、江戸に移った後も、家康公は、岡崎から豆味噌を取り寄せていたとのことです。仮に現代、家康公が生きていたのなら、『是非、この八丁味噌を使ったラーメンを召し上がって頂きたい!!』そんな思いを寄せて完成させた『戦国武将らあめん家康公』です。
スープは八丁味噌などを贅沢に用いた濃厚な味噌スープ。その力強いスープを受け止めるのが花月嵐自慢の特製太麺。具材には、油揚げ、長ネギ、かまぼこ、軽く煮込んだ生玉子と言った食材と、香ばしく炭火で燻した鶏チャーシューです。現代に生きる私達も、激動の時代を生き抜いた徳川家康公へのリスペクトを込めた、この一杯を食べて、毎日を元気いっぱいに頑張りたいところです!!
今回私達をナビゲートしてくれるのが、歴史好きアイドル『歴ドル』として数多くのイベント等の多方面でご活躍されている、小日向えりさんです。小日向さんは、関ヶ原観光大使や信州上田観光大使を務め、また歴史に関する著書もあります。どんなお話が聞けるでしょうか?
江戸幕府を開いた徳川家康公の生誕の地が三河の国の岡崎城でした。そのお城から西に八丁(約870m)行ったところにあったのが八丁村(現在の愛知県岡崎市八帖町)で、古くからこの地では味噌が作られており、その地名にちなんで『八丁味噌』と呼ばれていました。家康公はこの八丁味噌の原型とも言うべきこの地の豆味噌を非常に好んでいたという言い伝えがあります。
一般的に『味噌』には大豆の他に米や麦も用いられることが多いのですが『八丁味噌』に関しては大豆と塩だけを原料として作られる豆味噌の銘柄になります。 今日においても昔ながらの製法を守り、大きな桶の上には石を積み2年間という時間をかけて天然醸造し、大豆の旨みを引き出すことで、他にはない濃厚な味わいの『八丁味噌』が誕生するのです。
『八丁味噌』は、江戸時代になると参勤交代や伊勢参りをする人たちによって、東海道を通じて、その名を全国に広めていきました。明治以降も政財界から文化人に至るまで数多くの著名人が好み、取り寄せたという記録が残されています。 また近年においては、『八丁味噌』の蔵元が舞台となったNHKの連続テレビ小説が放映。そして、健康食として人気の高い『和食』の代表的な食材の一つとして海外からも注目を浴び取り寄せている人達もいるそうです。
今回、開発にあたりご協力を頂いたのが、日本で2社しかないという『八丁味噌』製造の会社の一つ、『カクキュー』さんです。現在は何と十九代目というご当主が引き継ぐ幾百年の歴史を有し、明治時代には宮内省御用達になった伝統ある蔵元さんです。『カクキュー』さんの社屋は国の登録有形文化財に登録されていて、実際に工場見学が出来たり、八丁味噌が楽しめる御食事処や、お土産も売っています。是非、あなたも『カクキュー』さんを訪ねてはいかがでしょうか?また、インターネットでのお取り寄せもできるので、ご興味のある方は是非ホームページを覗いてみてくださいね!!
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